このマスターテープはUHER製の"Report Stereo"というオープンリールデッキとAKGのマイクロフォンを使用して録音されたもので、元々音質は非常に優れておりました。前記の旧盤『BRUSSELS AFFAIR』はその収録音を調整して音質向上を図ったものでしたが、今振り返るとやや創り込まれたイコライズ感があったのも事実でした。今回の新作はそれが無く、実際の演奏音に近い本来の自然なサウンドとなっているのが特徴です。特に大きく変わったのが高音の質感で、散漫だったボーカルの出音方向とドラムの質感が飛躍的に改善されています。中でもスネアは本来の音色で鮮やかに蘇っており、これだけでも全体の印象が随分違って聴こえる筈です。そして何よりも旧盤ではほぼ全てのトラックで音圧過剰気味に出ていたシンバルの響きがピンポイントで節度ある響きを取り戻していて、これも非常に大きなトピックスとなっています。つまり旧盤よりも当日の実際の音色と響きにずっと近いリアルな音色でこの名演奏が聴ける訳で、言うなれば大好評のうちに瞬時完売したブリュッセル72の"ナチュラル音質版"となっているのです!例えば「Speak To Me」では再生ボタンを押した直後から観客の声の生々しさや導入部演奏音の質感の違いが既に判然としていますが、これが「Breathe」1音目で確信に変わります。立ち上がる音色に音圧を上げた不自然な厚みが消え、楽器の生音が元来持っている芯の力強さで骨太に立ち上がるのです。この音圧解消の効果により旧盤ではやや滲んでいた音像全体の動きが鮮明さを取り戻し、冒頭から各楽器の音がしっかり追える様になっているのも特筆されます。シーケンサーが暴走して警告音の様な音を発し続ける特徴的なシーン(※1分00秒?)では、その音が回り込む様子や音色の輪郭が旧盤以上に濁りの無い鮮明さを伴って聴こえますし、歌唱部分に入ってからも後ろで鳴っているシンバルの響きが旧盤では音像全体に平べったく拡散していたものが、本作ではピンポイントで控え目に鳴っているのがお分かり戴けると思います。また「On The Run」では雑味の無い音の見通しと解像度の向上が更に御実感戴けるでしょう。そもそもこの曲は静寂が支配する場に各楽器が運動性を伴った対話を重ねてゆく様子がキモなのですから、旧盤で希薄だったその要素(=中央で過剰なほど鳴っていたシンバルの金属音がサウンド全体の輪郭を濁らせていた様子)が正された事で、楽曲本楽の魅力が真っ直ぐこちらへ向かってくるのです。「Time」も新旧の音像差が際立ちます。例えば冒頭の目覚ましベルや鐘の音がこれまではやや角の取れた鈍い音で鳴っていたのに対し、本作ではシャープで軽快な音で鳴っている事に気付かれるでしょう。ピッチもより厳密に修正されたので、音の高さも旧盤とは若干違っている(※本作の方がやや高い=より正確にアジャストしてます)のも御確認戴けると思います。ところでこの日の演奏では、本来終曲手前のパートで歌われる歌詞をリックが間違って最初のパートで歌ってしまったため(※2分18秒付近?)、バンドがそれに釣られて「Breathe(Reprise)」に行きそうになりながらもギターソロに入ってゆく様子が確認出来ますが、このギターソロの部分(※2分50秒付近?)でのギター、ベース、ドラムも旧盤では味わえなかった自然な音の膨らみを綴っており、これも透明感のある音像と相まった見事な音色の対比を成しています。「The Great Gig In The Sky」では前半の凝縮感と中盤からのピアノの響きを巧みに使った空間性の描写が、抑制の効いたサウンドで鮮やかに蘇っています。このシーンは旧盤のブーストが効いた音も魅力的でしたが、バンドが意図した楽曲本来の響きとしては恐らく本作の方が近い筈です。「Money」はサウンドの広がりと透明感が出ている点に御注目戴きたいと思います。一番の違いはギターが歌い始める中間部2分59秒付近からの展開で、ここも旧盤ではギターが歌う旋律をシンバルがシャリシャリと強過ぎる出音で掻き消してしまうシーンが散見されました。でも本作ではそれが一切無くなり、デイヴの指使いがしっかり追える音像として生まれ変わっています。ギターが高音で泣く響きの伸びや、歌に戻ってからのボーカルとバックの出音バランスもイコライズの呪縛から解かれた生々しいサウンドで飛び出してきますので、旧盤をお持ちの方は音像の違いを是非お確かめ戴きたいと思います。「Any Colour You Like」では表現力に充ちたデイヴのスキャットが旧盤以上の瑞々しさで耳をくすぐってきますが、この曲はスネアの打音が楽器本来の音を取り戻している点もトピックスです。特に後半で1分半以上にも渡って運動性を増すシーン(4分07秒付近?5分46秒付近)ではその一音ずつに明瞭感と音色の自然さが備わっており、これもまた本作の優位性が感じられる部分でしょう。「Eclipse」は、1分18秒付近?22秒程度に掛けて一瞬発生する右チャンネルの劣化(※但し、音は出ています)が旧盤同様に本作でも残っていますが、音の出方が自然なので旧盤ほど目立った印象はありません。Disc-2では、まず「One Of These Days」の冒頭で出て来るベースのあの音に過剰なラウドさが無くなり、楽器本来の鈍くて重たい響きを発しながら曲が動いてゆきます。この曲でのベース・サウンドはひょっとすると旧盤のゴリゴリした響きの方が好みだという方も居られるかもしれませんが、しかし同時に楽器をやられている方ならばストレートなベースの音色に納得と安心感を覚える方も少なからず居らっしゃると思います。3分20秒付近からはそのベース単体の目立つ動きが出てきますが、これもイコラ感が消えたことで曲想を妖しく揺らしてゆく様子が一層生々しく伝わってくる音像となっており、同時にそのベース音背後の透明感が増している点にもお気付きになるでしょう。曲終盤でギターが厳しく張り詰めた響きを出す様子も必聴です。「ユージン」はサウンドの透明感ががグッと上がっている点がアドヴァンテージでしょう。静寂と響きを重視する曲だからこそこの差は非常に大きいと思いますし、楽曲本来の狙いもよく掴める音像になっています。この日はこの時期の特徴としてロジャーによる詩の朗読の様なパートがスクリームの前で展開されますが、その呟き・囁きの言葉の出音も旧盤以上に明瞭感がありますし、スクリーミング後に楽曲が動いてゆく様子も大胆な響きと炸裂する緊張感を伴って再生されますので、終曲後の深い余韻もお楽しみ戴ける筈です。「Echoes」はまず、歌唱冒頭「♪Overhead the albatross...」部分でのボーカルラインの艶やかでくっきり鮮明な立ち上がりの音像に御注目下さい。デュエットの微細な明瞭さも抜群です。旧盤ではこの冒頭部分も含めボーカル全体にイコライズの影響が若干出ており、一枚薄いヴェールが掛かった音で記録されていましたが今回はそれも解消されているのです。7分32秒付近から突入する展開部直前の音の動きも、せっかくの勢いあるサウンドを強過ぎるシンバルの打音が邪魔していた旧盤に対し、本作は驚くほど聴き易い高解像の音を実現しており、ここはその差に驚嘆される筈です。また終曲手前の随所で激しく暴れるスネアの響きも大幅に改善され、楽器本来の音で鳴っている点も注目ポイントです。そして12月1日のフランス公演で初演され、9日のチューリッヒ公演までの間に僅か数回しか演奏されなかった幻のレア曲「Childhood's End」も、今回は更にフレッシュな音で息を吹き返しています。大きく差が出たのはギターの響きで、特に後半6分52秒付近から始まるギターソロに顕著です。旧盤ではシンバル同様にキンキンする金属質なギター音が音像中央でけたたましく鳴っていましたが、これを補正した事で本作ではギター本来の"表情豊かな泣きの音色"を取り戻しているのは特筆されると思います。同様にソロ後のシンバル・ショットも過剰に出ていた響きが瑞々しい音色で蘇っており、どちらも過剰だった高音部が大きく改善されているのがお分かり戴けるでしょう。元々音質が優れていたタイトルを今回改めて出し直す事にどういった意味合いがあるのかと言えば、それはひとえにこの日のフロイドが綴った魅力溢れる演奏音をより正確にファンの方にお届けしたいという思いがあったからです。実のところ、音圧を上げてアタックの強いサウンドにした方がメリハリが出るぶん"分かり易いサウンド"となるので、リスナーにはそうしたサウンドが"良い音"と捉えられてしまうケースがあり、これはブートレッグに限らず昨今の正規盤リマスターでも多々ある事例です。しかし創り込んだ音像とマスターに記録された音に開きがあればあるほど、それは音楽を分かり易い音で届ける代わりに本来の正しい音色としては伝えていないという事になります。マスターの音があまりに酷ければ分かり易くするためのリマスター作業も必要ですが、でも過剰にそれをすると音の本質が失われかねません。勿論、旧盤『BRUSSELS AFFAIR (Sigma 66)』のリリース時にも本質を曲げる様な作業はしていませんが(※ショウ後半を中心に半音近く低かったピッチを全て正確に補正し、数箇所で確認されたノイズを丁寧に除去した程度でした)、しかし演奏音を"より分かり易く伝える為"のイコライジングは適度に施したタイトルだった事もまた事実です。しかし今回本作で目指したのはこの日の演奏を"より正しく伝えるため"の最新2014年リマスターです。それは即ち、演奏音を丁寧に見直し、イコライジングによる創り込みを避け、最良の音像補正と厳密なピッチ修正を試みる事でその日の演奏が根底に持っている魅力を力強く引き出す事を主眼に置くという作業です。でもそうした音質向上・音像改善の作業は本作に限らず、他のタイトルにも同じ事が言えます。それを何故本作で殊更強調したかと言えば、それはひとえにフロイドというバンドが響きの特性を借りて音楽の可能性を追求した稀有な集団だったからです。つまりフロイドの場合は通常のロック・サウンドとは違い、収録された原音全体をブーストして結果を得ようとするよりも、原音を精査して響きの本質そのものを見詰め直す作業に重きを置く方が、結果としてフロイドの楽曲の特性や演奏の魅力を最大限に引き出せるだろうという狙いです。文中で新旧の音質の違いについて延々と書いてきたのも、そんなフロイドの楽曲と演奏が根底に持つ響きの魅力の差が新旧タイトルでどれだけあるのかをお伝えしたかったが故の事ですし、本作を聴いて戴ければその試みが大成功だったと御納得して戴けるでしょう。今週末は是非、この新しく蘇った72年ブリュッセル公演に御期待下さい。 Live at Forest National, Brussels, Belgium 5th December 1972 TRULY PERFECT SOUND(UPGRADE) Disc 1(47:29) The Dark Side Of The Moon 1. Speak To Me 2. Breathe 3. On The Run 4. Time 5. Breathe(Reprise) 6. The Great Gig In The Sky 7. Money 8. Us And Them 9. Any Colour You Like 10. Brain Damage 11. Eclipse Disc 2(50:34) 1. One Of These Days 2. Careful With That Axe, Eugene 3. Echoes 4. Childhood's End